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創業物語vol.1:アルバイトから正社員へ、29年支え続けた雑誌づくり

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1996年に『いきいき』が創刊してから今年で29年。2016年に『ハルメク』へとリニューアルし、時代が変わっても変わらない価値観がここにはあります。

新連載『創業物語』では、創業期から現在までのハルメクの歩みを、当時を知る社員の皆さんの声を通じて振り返ります。
第1回は、勤続29年目になり、雑誌ハルメクの副編集長も歴任した文乃さんです。

『いきいき』創刊号、申し込み174件から刻んできた歴史

編集部:「創業物語」というテーマで、ハルメクの成り立ちやそこに込められた思いをお伺いしていきます。記念すべき1回目は、勤続29年目になる 文乃さんです。大学生時代のアルバイトがきっかけで入社されたと伺いました。その経緯を教えていただけますか?

文乃さん(以下、文乃):大学のサークルの先輩がユーリーグ(1989年創業、ハルメクの前身)でアルバイトをしていて、その方が創業社長の知人の娘さんだったんです。紹介されてアルバイトを始めたのが最初のご縁でした。

編集部:当時はどんなお仕事をされていたのでしょうか?

文乃:農林水産省の季刊誌を作っていて、私はお客様データの入力などを担当していました。大学4年生のとき、1996年に『いきいき』が創刊され、創刊号の申込数が174件だったことを今でも鮮明に覚えています。

編集部:その174という数字が、今日のハルメクの礎になったのですね。

文乃:一見小さな数字ですが、とても大きな一歩でした。当時、社長やその時の編集長が掲げていた「双方向性のある雑誌」という信念を何度も聞き、そこに強く共感して「ここで働きたい」と自然に思うようになっていきました。

編集部:一般的な雑誌とは違う「双方向性」について教えてください。

文乃:雑誌といえば一方通行の発信が多かった時代に、読者としっかりつながることを前提にしていたのが画期的でした。今思えば、ここがハルメクの原点です。読者との関係を一方的ではなく対話と捉え、その声に応えようとする姿勢。これこそが今の顧客を徹底的に理解するという考え方につながっていると思います。

編集部:信念に共鳴されていたんですね。

文乃:井上ひさしさんの「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」という言葉と重なるものがあって。読者に伝わる言葉で丁寧に届ける姿勢はDNAのように続き、今も変わらない。その土台を作った社長と編集長は凄い人たちだったなと思っています。

編集部の舞台裏、電話番で原稿が書けない!?

文乃:卒業後1997年に入社し、当時は社員も20人に満たないような小さな会社。かわいらしい入社式をしてもらいました(笑)。最初は別部署のビジネス誌を担当していたのですが、2年目に「いきいき」編集部に異動になり、雑誌づくりの現場に本格的に関わるようになりました。

当時の編集長と雑誌作りに励んでいた

編集部:編集部員は何名くらいいたのでしょうか?

文乃:創刊当初の編集部は5〜6人。隔月刊から月刊になったタイミングで少し増えましたが、本当にこぢんまりしていて、全員が何でも屋のように働いていましたね。

編集部:双方向の雑誌づくりは、どうやって進めていったんですか?

文乃:当時はまだネットも普及しておらず、読者と直接つながる手段は限られていました。そのため、電話やはがき、読者投稿を活用して編集部と読者が対話するという形でしたね。

編集部:『いきいき』編集部で、印象に残っていることについて教えてください。

文乃:16時くらいなると、夕刊の広告を見た読者からの電話申し込みや問い合わせが殺到! 電話が鳴りっぱなしで、編集部総出で応対する毎日でした。そのやり取りの中で「雑誌を楽しみにしてくれている方々がいる」と実感できたのは大きかったです。

編集部:編集部が直接電話を取っていたというのも驚きです。

文乃:今では考えられないかもしれませんね(笑)。雑誌だけじゃなく、通販の注文も受けていたんですよ。商品も編集部が手弁当で探してきて、取材先で出合った良いものを届ける、という姿勢は今も変わりません。のちにお客様センターを立ち上げる際も、パートスタッフを読者の中から募りました。読者と一緒に雑誌を作り、読者が会社の一員になる、ハルメクらしいエピソードだと思います。

編集部:まさに今の顧客理解の原型ですね。

文乃:イベントも、もともとは社長が自分で始めたセミナーがきっかけで、そこに熱心な読者が集まり、コミュニティができていきました。雑誌を届けるだけではなく、「読者と人生をともに歩む」という気持ちが根底にあったからこそです。

変わらぬ理念、変わる時代。雑誌大ヒットの裏側で…

編集部:2001年には、日野原重明さんのエッセイ連載「生きかた上手」が書籍化され100万部越えの大ヒット。会社としても大きな転換期を迎えました。

文乃:神楽坂にショールームを兼ねた販売店を初めて出店したのもその頃です。夢だったプロジェクトが次々叶っていって。息をつく間もないほどの忙しさでしたが、それでも本当に楽しかったんです。      

入社2年目ながら、読者の海外ツアーの添乗も

編集部:2005年4月には『いきいき』の副編集長になられたんですよね。

文乃:そこからはさらに忙しい日々。2007年の初頭に、読者の方から「すごい体操の先生がいる」と体操指導の第一人者・菊池和子先生を紹介されて。もうその場で「この人はすごい!」と思って、すぐに8ページの特集を組んで、イベントも企画したんです。最初100人の予定だったのに、応募が殺到して900人。3回に分けて開催したはずです。

講座・イベントで実施したきくち体操の様子

編集部:そこから連載に発展し、DVD制作や定期イベントにもつながっていきました。ただその後、さまざまな事情が重なり、民事再生という選択を迫られることとなったのですね。

文乃:はい、会社としてはどんどん雑誌の発行部数も多くなって、ものすごくエネルギーのある時期でもありました。そんな中、 ある日からぱったりと新聞広告が出なくなりました。結果として、新規読者が入らず、読者が減っていってしまったんです。

編集部:それが民事再生につながっていったと。

文乃:まさにその通りです。それでも今なお読者でいてくださる方々がいる。「『いきいき』からの読者です」という方とよくイベントでお会いするのですが、本当に感謝の気持ちでいっぱいになります。

宮澤社長新体制がスタート、あらたな挑戦の始まり

編集部:2009年の民事再生を経て、宮澤新社長体制に。社内の雰囲気は変わっていきましたか?

文乃:大きく変わりましたね。会社が一度なくなり、夜逃げのように事務所を引き払って神楽坂のビルに移ったのですが、宮澤社長のリーダーシップで再建がどんどん進んでいきました。
ただ、私はその直後に産休に入ってしまったため、実は、その当時の宮澤社長をじっくり見る機会があまりなかったのですが、会社を正常な状態に戻そうと必死に動かれているのは感じていました。
初代編集長は数年残り、その後2代目の編集長は某大手新聞社出身の方に。製作体制を合理化してくれたり、ジャーナリスティックな視点を持ち込んでくれたり、面白い方でしたが、「読者」の捉え方が違っていたと思っています。ハルメクの読者は、彼女が考えていたよりずっと知的好奇心が高くて、賢明なんです。

編集部:そこに気づいていた編集部員も多かったのでは?

文乃:そう思います。私はその頃、編集部ではなく書籍制作の方にいたので直接は関われなかったのですが、やはり『いきいき』は単なる実用誌ではない。初代編集長が言っていた「台所と哲学」──実用の中にある生きる意味を問い続ける姿勢が、うちの雑誌の本質だと思います。その当時の編集長に一番感謝しているのは、働く環境を整えてくれたこと。産休から復帰したら、校了日でもみんな早く帰れるようになっていて驚きました(笑)。

読者とともに歩む、新生『ハルメク』の誕生

編集部:そして大きな転機が2016年。4月に商号を「株式会社ハルメク」に変更し、雑誌名も長年の『いきいき』から『ハルメク』にリニューアルしました。

文乃:ちょうどそのタイミングで『ハルメク』の副編集長として再び雑誌の現場に戻ってきました。2017年からは山岡編集長とともに、誌面の刷新や新企画の立ち上げにも携わりながら、編集者として成長する一方で、会社も組織として大きくなっていき、その変化を一緒に体感できるのは貴重な経験でした。

編集部:文乃さんにとって、『いきいき』や『ハルメク』という雑誌は、どのような存在なんでしょうか?

文乃:親よりも、子どもよりも、誰よりも長く一緒にいる存在(笑)。もう、自分の一部みたいな感覚です。切っても切れないというか……自分の人生そのものと重なっているような雑誌。だから、編集部からイベント部に異動することになったときは、考えさせられました。

編集部:それほど強い愛着があるのですね。

文乃:まさか自分が雑誌から離れることになるなんて、想像したこともなくて。でも広い意味では、イベントの仕事もずっとやってきたことなので、そこまで違和感があるわけでもないんです。ハルメクの一部として続けていくことには変わりないなと。

編集部:ご自身が60歳になった時に「こうありたい」と思う姿はありますか?

文乃:まず、「読者のために」というスタンスだけは絶対に崩したくないと思っています。そういう泥臭いことを真面目に言う人って、今どきあまりいないと思うんです(笑)。

編集部:だからこそ、言い続ける存在でいたいと。

文乃:そうですね。それって、ある意味では使命感かもしれませんし、自分自身が最後まで追い続けたい思いでもあります。ハルメクは「読者のために作っています」と、何歳になっても胸を張って言い続けたいですね。

創業物語第一回はいかがでしたでしょうか。
「この雑誌と、人生をともに」——そんな熱い思いに触れた取材でした。創業の想いや、読者との対話を大切にしてきた歩みを、次の世代にも受け継いでいきたい。そんな気持ちを、取材を通して強く感じました。

ハルメクグループでは全国の事業所で読者と共に歩む仲間を募集しています。この記事を読んで、ご興味を持っていただけた方は、採用サイトもぜひご覧ください。

取材・編集/裕之(ハルイロ編集部) ライター/梅津美希

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